2012年7月25日水曜日

第2章第3節 チェルノブイリ大惨事後の総罹病率と認定障害


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※お断り: 当ブログ上に掲載する訳はあくまでも暫定訳であり、
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アレクセイ・V・ヤブロコフ、ナタリア・E・プレオブラジェンスカヤ

【要旨】


チェルノブイリ原発事故に由来する放射性核種によって重度に汚染された地域を、経済活動、人口構成、環境の点で似通った、放射能汚染度の低い地域と比較した場合、重度汚染地域において常に、総罹病率の上昇が著しい。ベラルーシ、ウクライナ、ヨーロッパ側ロシアの重度汚染地域では、病気をもつか、あるいは虚弱な新生児が多く見られるようになった。


電離放射線が健康に及ぼす影響にしきい値はない。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発で、大量の放射性核種がまき散らされた(詳細は第1章を参照)。自然のバックグラウンド放射線にごく微量の放射線が加わるだけで、被曝した人やその子孫の健康は遅かれ早かれ統計的に(確率的に)影響を受ける。チェルノブイリの放射線被曝による確率的影響として最初に表れたものの一つに、総罹病率の変化がある。

チェルノブイリの放射性核種によって重度に汚染された地域を、同じような民族誌、経済活動、人口構成および自然環境下にある放射能汚染度の低い地域と比較すると、あらゆる事例において、汚染度の高い地域で子どもと成人の総罹病率の上昇、および認定障害者[訳注1]の増加が認められる。この章で取り上げる罹病率のデータは、多くの同様の研究から得られた事例の一部にすぎない。

3.1. ベラルーシ

1. 重度汚染地域では、小児の総罹病率が目に見えて上昇した。これには、以前はめったに見られなかった病気の増加も含まれる(Nesterenko et al., 1993)。


2. ベラルーシ保健省のデータによれば、大惨事直前(1985年)には90%の子どもが「健康といえる状態」にあった。ところが2000年には、そのようにみなせる子どもは20%以下となり、もっとも汚染のひどいゴメリ州[ベラルーシ語でホメリ州]では、健康な子どもは10%以下になっていた(Nesterenko, 2004)。

3. ベラルーシにおける1986年以降1994年までの新生児罹病率の増加は9.5%だった。最大の上げ幅を示したのはもっともひどく汚染されたゴメリ州で(205%増)(Dzykovich et al., 1996)、おもな原因は未熟児の疾患が増えたことである。

4. 重度汚染地域では、身体の発達が阻害されている小児の数が増加した(Sharapov, 2001)。

5. 大惨事当時に新生児から4歳児までの年齢で、1平方キロメートルあたり15~40キュリー[=1平方メートルあたり55万5,000~148万ベクレル]の汚染レベルの地域に住んでいた小児において、1平方キロメートルあたり5~15キュリー[=1平方メートルあたり18万5,000~55万5,000ベクレル]の汚染レベルの地域の小児よりも有意に多くの病気が認められた(Kul’kova et al., 1996)。

6. 1993年には、ゴメリ州コルマ地区[ベラルーシ語でカルマ地区]とチェチェルスク地区 [同チャチェルスク地区]に住む(大惨事当時に0歳から4歳だった)小児のうち、健康な者はわずか9.5%だった。当時、この地域の土壌におけるセシウム137[Cs-137]の濃度は1平方キロメートルあたり5キュリー[=1平方メートルあたり18万5,000ベクレル]を超えており、この地域の小児の37%ほどがいまも慢性疾患に苦しんでいる。重度汚染地域においては、年間の疾患発生率が(16種の病気において1,000人あたり)102件から130件の割合で増加しており、低汚染地域よりもずっと高い(Gutkovsky et al., 1995; Blet’ko et al., 1995)。

7. 重度に汚染されたブレスト州ルニネェツ地区において、小児1,000人あたりの疾病発生率が、大惨事後の8年間に3.5倍も増加した。すなわち1986年から1988年は1,000人あたり166.6件、1989年から1991年は337.3件、1992年から1994年は610.7件である(Voronetsky, 1995)。

8. ブレスト州ストーリン地区の、1平方キロメートルあたり最高15キュリー[=1平方メートルあたり55万5,000ベクレル]のセシウム137に汚染された環境において胎内で被曝した小児は、10年後の主要な気の罹病率が有意に高くなった。病気の診断は6歳から7歳で明らかになった(Sychik and Stozharov, 1999)。

9. ベラルーシ全体をみると、未熟な新生児と妊娠週数に対して小さ過ぎる胎児の発生率が、大惨事後の10年間、放射能汚染のひどい地域で顕著に高かった(Tsimlyakova and Lavrent’eva, 1996)。

10. 厳重に管理された移住義務および移住ゾーン(1平方キロメートルあたり15キュリー以上)[訳注2]から避難していた母親のもとに生まれた新生児は、統計的にみて有意に胴が長く、その一方、頭はより小さく、胸囲がより短かかった(Akulich and Gerasymovich, 1993)。

11. ゴメリ州のヴェトカ地区、ナロヴリャ地区[ベラルーシ語でナロウリャ地区]、ホイニキ地区、カリンコヴィチ地区[同カリンカヴィチ地区]およびモギリョフ州のクラスノポーリエ地区[同マヒリョウ州クラスナポッレ地区]では、重度汚染地域における流産の事例と、低体重の新生児の数が有意に多くなった(Izhevsky and Meshkov, 1998)。

12. 表3.1は、1995年から2001年にかけて、重度汚染地域と低汚染地域において二つのグループの小児を調査した結果である。小児の健康状態は、主観的判断(自覚症状)と客観的判断(臨床診断)によって得た。小児各人の観察は3年間続けられ、個々人の体内汚染はホールボディカウンター[WBC]を用いて測定した放射性核種のレベルと、鉛や他の重金属のレベルの測定によって判定した。表3.1のデータをみると、同一グループ内における放射能汚染のレベルは3年間を通じて統計的な変化はないが、重金属のレベルは、対照群で鉛が増加している以外はやや減少を示している。

表3.1. 重度汚染地域と低汚染地域の小児における
放射能および重金属による汚染(Arinchin et al., 2002)

13. 表3.2 は、小児の健康に関する自覚症状の一覧である。重度汚染地域の小児のほうが、さまざまな病気についてより頻繁に不調を訴えていることが明らかだ。重度汚染地域に住んでいる小児のグループの訴えの数は、低汚染地域の小児のそれよりも明らかに多い。3年間の観察の後、重度汚染地域でも低汚染地域でも不調の訴えの数は増加したが、調査した症状のほとんどについて、重度に汚染された地域のほうが訴えの数が多い。
表3.3のデータによれば、1回目の調査でも2回目の調査でも、重度汚染地域に住む小児と低汚染地域の小児を比べると、ほとんどすべての疾患において大きな差がある。
表3.2と表3.3は、重度汚染地域における小児の健康状態が明らかに悪化していることについて説得力のある実態を提示する。調査執筆者たちは、こうした状況を「環境不順応症候群」と定義しており、これもまた、チェルノブイリがもたらした明白な影響の一つといえるかもしれない(Gres’ and Arinchin, 2001)。
 表3.2.  3.1の小児の健康状態に関する不調の訴えの
発生頻度(単位は%)(Arinchin et al., 2002)

表3.3. 表3.1および表3.2と同じ小児の
病状例と診断の発生頻度(単位は%) (Arinchin et al., 2002)


14. 1993年から1994年にかけての公式統計によれば、セシウム137のレベルが1平方キロメートルあたり15キュリーを超える地域では、疾病発生率が有意に高かった(Kozhunov et al., 1996)。

15. ベラルーシの汚染地域における第一次障害者[訳注3]の数は、1993年以降、特に1997年と1998年にかけて目立って増加した(図3.1)。


図3.1
ベラルーシの重度汚染地域(曲線1)と低汚染地域(曲線2)における、
公式に大惨事との関連が認定された第一次障害者数の推移(Sosnovskaya, 2006)


16.  認定障害者の数は、より汚染のひどいゴメリ州やモギリョフ州では国全体の数値よりもかなり高かった。
認定障害者の総数はゴメリ州のほうが多かったが、モギリョフ州では一級[最重度]障害者と障害児が大半を占めていた(Kozhunov et al., 1996)。

17. 公式のデータ(『チェルノブイリ事故の医学的影響』2003)によれば、 1986年から1987年にかけて事故処理に従事したベラルーシ人リクビダートルの罹病率は、同様の年齢層の対照群より有意に高い。このリクビダートル集団の罹病率の年間増加率は、ベラルーシの成人全体の最高8倍にも上る(Antypova et al., 1997)。

18. 検査を受けた53人のリクビダートル(24歳~41歳)のうち、1990年から1991年には11人が、1993年から1998年には26人が障害者に認定され、2004年には生存していた患者全員が障害者認定を受けた(Shirokaya et al., 2010)。

19. チェルノブイリ原発事故に由来する障害者として1993年に公式認定を受けた第一次障害者は310人だったが、2006年は556人になった。第一次障害の認定理由の内訳は,循環器系疾患が54.6%、腫瘍が20.8%、内分泌系疾患が7.6%である(Cmychek et al., 2007)。

3.2. ウクライナ

1. 大惨事に続く10年間に、ウクライナにおける小児の総罹病率は6倍に増加し(TASS, 1998)、その後やや減少したが、大惨事の15年後も1986年の2.9倍だった(表3.4)。
表3.4. ウクライナの重度汚染地域における小児(0歳〜14歳)の
疾病発生率と有病率(1,000人あたり)
(Grodzinsky, 1998; Moskalenko, 2003; Horishna, 2005)





2. ジトーミル州[ウクライナ語でジトームィル州]の汚染度の高い地域に住み続けている約1万4,500人の小児(5歳~16歳)のうち,大惨事の10年から14年後の時点において「健康といえる」小児は10.9%だった(Sorokoman, 1999)。

3. 小児の総罹病率を汚染地域と非汚染地域とで比べた場合、1988年には有意な差は認められなかったが、同じ小児のグループを1995年に比較したところ、汚染地域で罹病率が有意に高く、汚染のひどい地域では特に高かった(Baida and Zhirnosecova, 1998; Law of Ukraine, 2006)。

4. 2006年から2010年にかけて,汚染度の高い地域の子どもとリクビダートルの子どもに、第一次発症率(疾患の発症)の上昇が認められた(小児1,000人あたり1,383件から1,450件へ)。これはおもに、呼吸器や皮膚・皮下組織の疾患、先天性発達障害の増加に伴うものである(ウクライナ保健省、2011)。

5. 2008年から2010年には、消化器、神経系・内分泌系、血液・造血器の疾患の発生数が高止まりになった(ただし、発生数は24年間で2倍から2.5倍にまで増えている(ウクライナ保健省、2011)。

6.  胎内で継続的に低線量被曝を受けた子どもは出生時の体重が軽く、生後1年間により多くの病気にかかっており、身体的な発達も順調でなかった(Stepanova and Davydenko, 1995; Zakrevsky et al., 1993; Zapesochny et al., 1995; Ushakov et al., 1997; Horishna, 2005)。

7. 重度汚染地域では、1997年以降2005年までに「健康といえる」小児の数が3.2%から0.5%へと6分の1以下に減少した(Horishna, 2005)。

8.   重度汚染地域において、調査当時5歳から12歳の小児の成長が著しい遅滞を示していた(Arabskaya, 2001)。

9. 1999年、放射能汚染地域には、ウクライナにおける病児数の平均値と比べて4倍もの病気の小児がいた(Prysyazhnyuk et al., 2002)。

10.   2005年の初めに、汚染地域において
認定障害をもつ小児の割合は、他の地域に住む一般集団中の小児の平均と比べて4倍以上に上っていた(Omelyanets, 2006)。

11.  2004年に、放射能汚染地域において
認定障害をもつと公式に認定された252人の小児のうち、160人が先天的な奇形によるもの、47人がガンによるものだった(Law of Ukraine, 2006)。

12.  1987年から1989年にかけて、重度汚染地域の小児はホルモンおよび免疫異常を示す、さまざまな臓器系の機能障害を病んでいることが非常に多かった。これらの機能障害は、1996年までに、長期にわたって再発を繰り返す、難治性の慢性的な病理過程を呈するようになっていた(Stepanova et al., 1998)。

13.  1986年以降2003年までに、社会福祉および医療の両面で適切なプログラムが集中的に実施されたにもかかわらず、放射能の影響を受けた地域に住む「健康といえる」小児の数(割合)は3.7分の1に減少した(27.5%から7.2%へ)。また、「慢性的な病気をもつ」小児の数(割合)は、1986年から1987年にかけての8.4%から2003年の77.8%に上昇した(Stepanova, 2006a、図3.2)。同じ時期に、低汚染地域の健康な小児の数は過去20年間にわたって30%だった(Burlak et al., 2006)。


図3.2. 1987年から2003年にかけての、ウクライナの放射能の影響を受けた地域における
「健康といえる」小児の数(割合)(1) と「慢性的に病気」の小児の数(割合)(2)
(単位は%)(Stepanova, 2006a)。

14.  ウクライナでは大惨事後15年目以降18年目までに、認定障害をもつ小児の数がしだいに増加し、(1,000人あたり)1987年の2.8人から2004年には4.57人になった (Stepanova, 2006a; 図3.3)。
図3.3. 1987年から2003年のウクライナにおける認定障害をもつ小児の数
(1,000人あたり)(Stepanova, 2006a)。

15. 避難した子どもたちの総罹病率は、1987年から1992年にかけて1.4倍に増加した(1,000人あたり1,224件から1,665件に)。 この期間に疾患有病率は2倍以上に上昇した(1,425件から3,046件に)。汚染地域では、大惨事の前から1992年までに総罹病率が2.4倍まで増加した。同時期、ウクライナ全体における小児の罹病率も増えているが、これほど著しい増加ではない(Lukyanova et al., 1995)。この傾向は現在も継続しており、1987年は1,000人中455.4件、1990年は866.5件、1995年は1,160.9件、2000年は1,367.2件、2004年は1,422.9件となっている(Stepanova, 2006b)。

16. 大惨事後、汚染地域における「健康といえる」小児の数(割合)は目立って減少し、病気の小児の数は有意に増加した(表3.5参照)。

表3.5. 
ウクライナの汚染地域における小児の健康状況
1986年〜1991年 (Luk’yanova et al., 1995)

17.   1988年から2005年にかけての年間統計によれば、「ほぼ健康」とみなせるリクビダートルの子どもの数は対照群の数分の1だった(対照群が18.6%~24.6%に対してリクビダートルの子ども群は2.6%~9.2%)。 さらに、これらリクビダートルの子どもたちは統計的に有意に背が高く、肥満していた(Kondrashova et al., 2006)。

18.   放射能汚染地域の小児は身体が小さく体重も少ない(Kondrashova et al., 2006)。

19. 1988年から2002年にかけて、成人の避難者のうちの「健康な」人の割合は68%から22%に下降し、「慢性的に病気の」人の割合は32%から77%に上昇した(ウクライナ公式報告書2006)。

20.   30キロメートル圏内から避難した小児の総罹病率は、1987年以降1992年までに2倍以上に増加し、キエフ州ポレーシェ地区では2.4倍に、ジトーミル州のナロディチ地区とコロステニ地区ではそれぞれ2.0倍と1.8倍に増加した(Smolyar, Prishko, 1995)。

21. 2009年の健康状態調査において、もっとも低い数値を示したのは1987年に生まれたリクビダートルの子どもで、「健康」のグループに入ったのは1.8%にすぎなかった(ウクライナ保健省, 2011)。

22. チェルノブイリ被災者公式登録簿の1988年から2010年にかけてのデータによると、避難者のうち健康な人の割合は67.7%から21.5%に下降し、慢性疾患をかかえる人の割合は31.5%から78.5%に上昇した(ウクライナ保健省、2011)。

23. 重度汚染地域における成人と十代の少年少女の罹病率は、1987年の1,000人あたり137.2件から、2004年の573.2件へと4倍に増えた(Horishna, 2005)。

24.  汚染地域において、第一次障害の原因としてもっとも多かったのは、1991年には循環器系障害(39.0%)と中枢神経系の疾患(32.3%)だった。 2001年以降は腫瘍が最大の原因となっている (2005年は53.3%)。1992年から2005年にかけて、腫瘍による障害はほぼ6倍に増加した(表3.6)。


表3.6. チェルノブイリ大惨事と関連づけられた認定障害に至った原発疾患(単位は%) 
1992〜2005年 (Ipatov et al., 2006)

25. ウクライナの公式データによると、2005年初頭の時点で
認定障害がチェルノブイリ大惨事によると認定された人の数は14万8,199人である。うち3,326人が小児だった(Ipatov et al., 2006)。

26.   1988年から1997年にかけて、放射能レベルに関連する罹病率の増加は、重度汚染地域でいっそう顕著になった。1平方キロメートルあたり15キュリー以上の区域[=1平方メートルあたり55万5,000ベクレルの移住義務ゾーン]では最高4.2倍に、同5~15キュリーの区域[=同18万5,000~55万5,000ベクレルの移住権利ゾーン]では2.3倍に、同1~5キュリーの区域[=同3万7,000~18万5,000ベクレルの放射能管理強化ゾーン]では1.4倍に増えた(Prysyazhnyuk et al., 2002)。

27. 1988年から2004年にかけて、健康なリクビダートルの数は67.6%から5.3%へと12.8分の1に減った。また、慢性的な病気にかかっている者の数は12.8%から81.4%へと6.2倍に増えた(ウクライナ公式報告書 2006、 ウクライナ法 2006)。

28.   成人の避難者における非悪性疾患の有病率は、1988年から2002年にかけて4.8倍に増えた(1,000人あたり632件から3,037件へ)(図3.4)。1991~1992年度以降ずっと、これらの疾患の発生率および有病率は国の平均を上回っている(ウクライナ公式報告書2006)。

図3.4. ウクライナの成人の避難民および一般集団における
非悪性疾患の有病率、 1998〜2002年 (ウクライナ公式報告書 2006)。

29. 1988年から2002年にかけて、成人の避難者における認定障害は42倍にまで増加し、1,000人あたり4.6件から193件になった(ウクライナ公式報告書 2006)。

30. 1988年から2003年にかけて、リクビダートルにおける
認定障害は76倍にまで増加し、1,000人あたり2.7人から206人になった(Buzunov et al., 2006)。

31.   1988年から1999年にかけて、汚染地域の住民における疾病発生率は2倍になった(1,000人につき621件から1,276件へ、および、同310件から746件へ)。これらの数値(パラメータ)は1993以降ずっとウクライナの平均を超えており(Prysyazhnyuk et al., 2002; ウクライナ公式報告書2006)、いまだに増え続けている(表3.7と3.8参照)。


表3.7. 
ウクライナ国内においてチェルノブイリ事故の被害者を3群に分類した場合の
「健康といえる」個人の割合(単位は%)1987〜1994年 (Grodzinsky, 1998)


表3.8. 
ウクライナの放射能汚染地域における罹病率(1,000人あたり)
(Grodzinsky, 1998; Law of Ukraine, 2006)

32. チェルニゴフ州[ウクライナ語でチェルニヒウ州]の重度汚染地域では、汚染度の低い地域と比べて総罹病率が有意に高い。また、州全体の総罹病率をみると、大惨事後の10年間は大惨事前の10年間より総罹病率が有意に高い(Donets, 2005)。

33. ウクライナ人リクビダートルの総罹病率は、大惨事後の10年間で3.5倍に増加した(Serdyuk and Bobyleva, 1998)。

34.   大惨事発生後の1年間における放射能汚染地域に特徴的な不調の訴えには、急速に進行する疲労(59.6%)、頭痛(65.5%)、血圧不安定(37.8%)、特異な夢(37.6%)、 そして関節痛(30.2%)などがある(Buzunov et al., 1995)。

35. 1987年以来、「病気」に分類されるリクビダートルの割合は、18%から27、34、42、57、66、75、81%へと一貫して上昇している(Grodzinsky, 1998、表3.7参照)。 大惨事後の18年間に「病気の」リクビダートルの割合が94%を超えた。2003年にはキエフ州のリクビダートルのほぼ99.9%が、スームィ州では96.5%が、ドネツク州 [ウクライナ語でドネツィク州] では96%が公式に「病気」と認定された(LIGA, 2004; Lubensky, 2004)。

36. 1987年から1994年にかけて、リクビダートルと避難民において、第一次障害者が何倍にも増加し、ウクライナの平均を超えた(表 3.9参照)。


表3.9. ウクライナにおける第一次障害者率(1,000人あたり)
1987〜1994年 (Grodzinsky, 1999)


     年 リクビダートル   避難者 ウクライナ

     1987 9.6[訳注5] 2.1     0.5
     1994 23.2    9.5     0.9




37. ウクライナの放射能汚染地域において、障害者に認定された消防士の割合が1988年には1,000人あたり2.8人だったのに対し、1998年には同13.7人に増加した。チェルノブイリ原子力発電所を含む強制退避区域内では15年間に800件以上の火災が発生し、建物2,500棟、森林・旧農業用地1万4,000ヘクタールが焼失した(Azarov et al., 2001)。

38. 公式のデータによると、ウクライナにおいて大惨事が原因と認定された障害者の数は、1991年には200人、1997年には6万4,500人、2009年には11万827人となっている(ウクライナ保健省、2011)。

39. リクビダートルにおける
認定障害者の数は1991年から急激に増加し始め、2003年までに10倍になった(図3.5参照)。


図3.5. ウクライナのリクビダートル(1986年から1987年に作業に従事)の
非悪性疾患による認定障害 1988〜2003年 (ウクライナ公式報告書 2006)。

40. リクビダートルにおける
認定障害者の数がもっとも増加したのは2002年だった。2003年以降2010年にかけては、2002年までに行政当局が記録上の死亡処理を進めた影響と、認定障害者として扱われてい たリクビダートルが死亡してしまったことにより、その数は減少している(図3.6)。

図3.6. 
1986〜1987年に従事したリクビダートルにおける
大惨事当時の年齢による認定障害者数の変化(1998〜2010年)

<図中のテキスト>
◇…40歳未満  ■…40歳以上  ▲…全体

3.3. ロシア

1. ヨーロッパ側ロシアのチェルノブイリ地域における「住民の健康状態」の全般的指標(
認定障害と罹病の総計)は、大惨事後の10年間で最高3倍にまで悪化した(Tsyb, 1996)。

2. 放射能汚染地域の小児は「クリーンな」地域の小児よりはるかに病気にかかりやすい。罹病率における最大の違いは、「症状、徴候、正確な病名がつけられない」と記述された病気の部類に表れている(Kulakov et al., 1997)。

3. ブリャンスク州南西部の各地区(セシウム137による汚染が1平方キロメートルあたり5キュリー以上)に住む小児における、登録された全疾患の1995年から1998年にかけての年間有病率は、ロシア全体の水準ばかりか州全体の水準の1.5倍から3.3倍だった(Fetysov, 1999; Kuiyshev et al., 2001)。 同じ地区に住む小児の罹病率は、2004年になっても州平均の倍だった(Sergeeva et al., 2005)。

4. 大惨事の15年後、カルーガ州の汚染地域に住む小児の罹病率が目立って高かった(Ignatov et al., 2001)。

5. 1981年から2000年までの期間を5年ごとに区切って、初めて病気と診断された小児の年平均数をみると、大惨事後の10年間は増加を示した(表3.10参照)。


表3.10. カルーガ州の汚染地域で初めて病気と診断された小児の
罹病率(1,000人あたり)1981〜2000年 (Tsyb et al., 2006)

6. ブリャンスク州のうち汚染のひどいクリンツィ地区とノヴォズィブコフ地区において、流産の発生率がより高く、低体重の新生児数が多かった(Izhevsky and Meshkov, 1998)。

7. 放射能汚染地域では新生児の43%以上が低体重だった。そのため、同じ地
域において病気の子どもが生まれるリスクは対照群の2倍となり、その差は、66.4 ± 4.3%に対して対照群 31.8 ± 2.8%である(Lyaginskaya et al., 2002)。

8. 1998年から1999年にかけての全ブリャンスク州における小児の認定障害をみると、もっとも汚染された3地区で州平均の2倍となり、その差は1,000人あたり352人対州全体の平均174人だった(ロシアの平均は161人。Komogortseva, 2006)。

9. セシウム137による汚染が1平方キロメートルあたり5キュリー以上の地区における、1995年から1998年にかけての成人の総罹病率は、ブリャンスク州全体よりも顕著に高かった(Fetysov, 1999; Kukishev et al., 2001)。

10. 大惨事当時「30歳以下」だったロシア人リクビダートル(調査対象は3,882人)における総罹病率は、その後の15年間で3倍に増加した。また、「31歳から40歳」群における疾病発生率は大惨事の8年後から9年後に最大となった(Karamullin et al., 2004)。

11. リクビダートルの罹病率は、それ以外のロシアの一般集団を上回っている(Byryukov et al., 2001)。

12. ブリャンスク州のリクビダートルにおける総罹病率は1995年から1998年にかけて上昇傾向にあり、1,000人あたり1,506件から2,140件になった(Fetysov, 1999)。

13. ロシアのリクビダートルのほとんどは若い男性で、もとはみな健康だった。しかし、大惨事後5年以内に30%が公式に「病気」と認定された。さらに、10年後には「健康」と見なされる者は9%以下になり、16年後に「健康」だったのはわずか2%だった(表 3.11)。


表3.11. 
ロシア人リクビダートルの健康状態:公式に「病気」と認定された人
の割合(Ivanov et al., 2004; Prybylova et al., 2004)

14. 大惨事の14年後に、トムスク州に住む83人のリクビダートルを検査したところ、全身の不調と、心臓循環器系、呼吸器系、消化器系、筋骨格系、泌尿器系など、加齢とともに表れる一般的な病気が確実に増加していることが認められた。うち4分の3以上が慢性疾患に苦しみ、リクビダートル一人あたり平均8つの病気にかかっていた(Porovsky et al., 2006b)。

15. トムスク州に居住するリクビダートルが患う病気の数は、1993年に比べて17倍以上に増加している(1993年にはリクビダートル1,000人あたり328.9件だったが、2004年には5,329.7件になった)。同州の住民全体の平均値(1,000人あたり1,200件~1,800件)の3倍にあたる。疾患の内訳は、神経系が11倍、消化器系が8倍、内分泌系、筋骨格系、循環器系が4、5倍、精神障害と呼吸器系が3倍、州全体の平均値よりそれぞれ高い。また、近年では軽度の機能障害より慢性疾患が増えている。上位を占めるのは消化器系(19%)、筋骨格系(16~18%)、循環器系(16~17%)、呼吸器系(15~18%)の病気である。同時に、神経系(13~15%)や内分泌系(4~5%)の障害も多く、精神病(5~7%)の割合も高い。悪性腫瘍も増加している(Krayushina et al., 2006)。

16. トムスク州のリクビダートルにおける第一次障害者の認定数は、1993年以降2004年まででは1997年がもっとも多かった(1万人あたり1,206.2人に対して州平均は56.4人)(Krayushina et al., 2006)。リクビダートルの障害者認定率は、いずれの年も州の平均値を5倍から10倍も(1997年には21倍も)上回っていた(2004年にはトムスク州のリクビダートル316人のうち約40%が認定障害者だった)。認定障害者となった理由の第1位は神経系と感覚器の疾患(28.2%)で、第2位は循環器系の疾患(24.1%)、第3位は精神障害(23.2%)である(Krayushina et. al., 2006)。

17. 1991年以降2005年までに、ロストフ州で第一次障害者と認定されたリクビダートルは6,104人で(年平均407人)、おもに若い男性である。第一次障害の認定理由は、全期間を通じて循環器系(70.2%)、消化器系(9.1%)、呼吸器系(7.5%)、内分泌系(5.9%)の疾患と悪性腫瘍(3.2%)であり、連邦平均や地方平均との差は顕著である(Abazieva, 2007)。

18. ノヴォモスコフスク市ザレーシェ地区に居住する、1986年から1988年に作業に従事したリクビダートルの100家族と、大惨事後15年間同地区に住んでいたリクビダートルでない100家族を包括的に経過観察したデータを比較したところ、一連の指標において際立った差が見られた(表3.12)。


表3.12. ノヴォモスコフスク市ザレーシェ地区居住の
1986年から1988年に従事したリクビダートル100家族と、
大惨事後15年間同地区に住んでいたリクビダートルでない100家族における
包括的な経過観察の結果(Gerasimova, 2006)


指標  リクビダートルの家族 対照グループ

受診数 2.14 1.18           
医療検査数 1.8 1.17
健診数 1.79 0.04
入院数 0.12 0.03
慢性疾患の平均数 6.2(配偶者2.1) 1.1(1.6)



表3.12のデータ分析においては、ノヴォモスコフスク市(トゥーラ州)全体が,セシウム137によって1平方メートルあたり3万7,000~18万5,000ベクレル[=1平方キロメートルあたり1~5キュリー]に汚染された地域であることを考慮する必要がある。

19. ロシア軍人登録のデータによると、40歳から50歳のリクビダートルにおいて、循環器系、内分泌系、神経系、感覚器、消化器系、泌尿器系、筋骨格系、結合組織における病気の発生率がいずれも非常に高い(Karamullin et al., 2006a)。

20. ロシアのリクビダートルにおける1993年から1996年にかけての総罹病率は、対照群の1.5倍だった(Kudryashov, 2001; Ivanov et al., 2004)。

21. リクビダートル一人ひとりが診断される疾患数は増え続けている。すなわち、1991年までにリクビダートル各人は平均2.8件の疾患をかかえていたが、1995年にはそれが3.5件になり、1999年には5.0件の疾患数となった(Lyubchenko and Agal’tsov, 2001; Lyubchenko, 2001)。

22. リクビダートルにおける
認定障害は大惨事の2年後から目立ち始め 、やがて劇的に増加した(表 3.13)。

表3.13.
算定された被曝線量別に見たリクビダートルの認定障害者率、
1990〜1993年(1,000人あたり、Ryabzev, 1998)


23. リクビダートルにおける認定障害者の割合が、1995年には対照群の3倍になり(ロシア安全保障委員会, 2002)、1998年には4倍になった(Romamenkova, 1998)。大惨事から15年ほどで、ロシア人リクビダートルの27%が、平均年齢48歳から49歳で認定障害者となった(ロシア公式報告書2001)。2004年までには、まだ労働年齢にある全リクビダートルのうち64.7%もが障害者に認定された(Zubovsky and Tararukhina, 2007)。

3.4. その他の国々

1. フィンランド: 大惨事後すぐに未熟児の出生数が増加した(Harjulehto et al., 1989)。

2. 英国: チェルノブイリの放射性降下物にもっともひどく汚染された地域の一つであるウェールズでは、1986年から1987年にかけて異常に体重の少ない新生児出生率が記録された(出生時の体重1,500グラム以下。図3.7)。


図3.7. ウェールズにおいて、1983年から1992年にかけて生まれた
出生時の体重が1,500グラム以下の新生児の割合(上の線)と、
土壌中のストロンチウム90のレベル(下の線)(Busby, 1995)。



3. ハンガリー: 1986年5月から6月にかけて生まれた新生児において、低体重の例が有意に多かった(Wals and Dolk, 1990)。

4. リトアニア[訳注6]: (生存していた1,808人の)リクビダートルのうち、チェルノブイリでの作業時の年齢が45歳から54歳だった者はひときわ罹病率が高かった(Burokaite, 2002)。

5. スウェーデン: 1986年7月には出生時の体重の少ない新生児が有意に多かった(Ericson and Kallen, 1994)

*****



チェルノブイリの放射性降下物によって重度に汚染された地域では総罹病率が有意に上昇し、リクビダートルや、被曝線量の多かった人びとにおける障害率が、被曝しなかった一般集団や対照群より高くなったことは明らかである。たしかに、チェルノブイリ大惨事の影響とこれらの数字を直接結びつける証拠はない。しかし、問われるべきは次のことだ。放射能汚染のレベルが上昇したまさに同じ時期に病気と障害が増加した原因がチェルノブイリ事故にないとすれば、ほかの何によって説明できるだろう。

IAEA[国際原子力機関]とWHO[世界保健機関]は、こうした罹病率の上昇について、社会的、経済的、心理的要因による部分もあると(2006年のチェルノブイリ・フォーラムで)示唆した。しかし、比較した集団が社会的かつ経済的状況、自然環境、年齢構成その他において等しく、違うのはチェルノブイリの放射能汚染に曝されたかどうかだけである以上、社会経済的要素はその理由にはなりえない。オッカムの剃刀[訳注7]ミルの規範[訳注8]ブラッドフォード・ヒルの基準[訳注9]といった科学的規範に照らせば、われわれはチェルノブイリ大惨事による放射能汚染以外にこれほどの規模の病気の発生を説明する、いかなる理由も見出すことはできない。






<訳注>

1. 認定障害disability (invalidism)とは、
「障害があると公式に認定され、社会的支援を受けている状態」であり、本書では「認定障害」「障害と認定される」等と訳す。『チェルノブイリ事故に よる放射能災害』(今中哲二編 )では、「疾病障害」と訳され、「身体障害や病弱のため通常の労働に従事できないと認定された人々で、重篤な順に第I度から第III度に分類される」と定義されている(p.193)。同書ではこの言葉が成人に対して使われているのに対し、本書の原著では 成人にも子どもにも使われているため、著者および監修者と相談の上、「認定障害」と訳すこととする。

2. 厳重に管理された移住義務および移住ゾーン: ベラルーシの汚染地域は、放射能汚染濃度と年被曝線量の基準にしたがい次の4つに区分けされている。(1) 移住義務(第1次移住)ゾーン:セシウムの土壌汚染密度は1平方メートルあたり148万ベクレル以上、年間推定被曝量は5ミリシーベルト以上 (2) 移住(第2次移住)ゾーン:同55万5,000〜148万ベクレル 、年間推定被曝量は5ミリシーベルトを超える可能性 (3) 移住権利ゾーン:同18万5,000〜55万5,000ベクレル、1ミリシーベルトを超える可能性 (4) 定期的放射能管理ゾーン:3万7,000〜18万5,000ベクレル、1ミリシーベルト以下。したがってここでは (1) と (2) を指している。

3. 第一次障害者:その年に初めて認定された障害者

4.  健康状態グループその健康状態によって、4つに分けられる。第1度は健康な子ども、 第2度は少しでも健康に問題がある子ども、第3度は疾患がある子ども、第4度は重篤な慢性疾患が認められる子ども。

5. 9.6
出典 Grodzinsky(1998)(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/reports/kr21/kr21pdf/Grodzinsky.pdf  p.24 table13)で、1987年の Participants of the liquidation of the Chernobyl accident consequences が1万人あたり「9.6」 となっているが、本著原著者の確認により、これは「96」の誤記である。

6. リトアニア:チェルノブイリ事故当時はソ連邦の一部。

7. オッカムの剃刀:哲学者のオッカムが述べた「ある事柄を説明するために必要以上に多くの実体を仮定すべきでない」とする指針。統計学などの分野で利用される。

8. ミルの規範:哲学者のジョン・スチュワート・ミルが『論理学大系』で述べた帰納法。因果関係の問題の解明を意図する。

9. ブラッドフォード・ヒルの基準:疫学者のブラッド・ヒルが述べた因果関係解明のための9つの基準。

2012年4月29日日曜日

第2章 チェルノブイリ大惨事による 人びとの健康への影響


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※お断り: 当ブログ上に掲載する訳はあくまでも暫定訳であり、
出版される際にはさらに訂正・修正が加えられる可能性があります。
ブログへのリンク、内容の引用・転載については、こちらをごらん下さい。
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アレクセイ・V・ネステレンコ(a)、ヴァシリー・B・ネステレンコ(a)†
アレクセイ・V・ヤブロコフ(b)


a.  放射線安全研究所(ベルラド研究所) ミンスク(ベラルーシ)
b.  ロシア科学アカデミー モスクワ(ロシア)
†  故人

キーワード: チェルノブイリ、隠蔽体制、被曝、医療統計



第2節 チェルノブイリ事故の住民の健康への影響

方法上の問題点

アレクセイ・V・ヤブロコフ

【要旨】

チェルノブイリ事故の影響の十分な評価を複雑かつ厄介なものにした問題には、大惨事発生当初から3年半にわたって、ソビエト政府が診療録の隠蔽や改ざんを行ったことや、ウクライナ、ベラルーシ、およびロシアに、信頼できる医療統計が存在しなかったことなどが含まれる。放射性物質の放出を制御するために事故処理にあたった数十万人の作業従事者(チェルノブイリのリクビダートル)に関する公式データの復元は、とりわけ困難だ。国際原子力機関(IAEA)、世界保健機関(WHO)、および、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)が要求する判定基準を用いた結果、チェルノブイリの放射性降下物に被曝した人びとにおける死者数や、病患の範囲および程度が著しく過小評価された。被曝データは、そもそも存在しないか、もしくは非常に不十分であり、その一方で、被曝がもたらす多くの有害作用の兆候がますます明らかになって来た。影響を被った地域で科学者が集めた客観的情報――自然地理学的、人口統計学的、経済的条件が等しく、放射性物質による汚染レベルとスペクトルのみが異なる複数の汚染地域における罹病率および死亡率の比較――によって、(たとえば、安定した染色体異常のように)年齢や性別に関わらず被曝と関連づけられる重大な異常や、その他の遺伝的・非遺伝的病理が判明した。


 チェルノブイリの炉心溶融(メルトダウン)が健康状態に及ぼす壊滅的な影響についての最初の公式予測は、事故後の数十年間にガンの症例数がほんのわずか増加すると述べただけだった。しかし同じ当局は、チェルノブイリ事故によって生じた甲状腺ガン患者がすでに1,000人に上っていた4年後に、予測されるガン症例数を数百件に引き上げた(Il'in et al.,1990)。大惨事から20年後のチェルノブイリ・フォーラム(2006年)での公式見解では、関連死者数は約9,000人、また大惨事を原因とする何らかの疾患をもつ人の数は20万人程度とされた。
 より正確な推定では、4億人近くがチェルノブイリ由来の放射性降下物に被曝し、被曝者およびその子孫は何世代にもわたって破滅的な影響に苦しむことが予測される。地球規模でみると、人びとの健康に対する有害作用については、遠く将来まで継続する特別な調査が必要だろう。本書の検討は旧ソビエト連邦のヨーロッパ側諸国(おもにウクライナ、ベラルーシ、ヨーロッパ側ロシア)の国民の健康に関するもので、これについては膨大な数の科学論文が発表されているが、西側世界(訳注1)ではほとんど知られていない。
 本書の目的は、チェルノブイリの悲惨な影響について、利用可能なすべての事実の完全な分析を提示することではなく、――すべてを分析するにはきちんとした学術論文が数多く必要だろう――むしろ、知られている限りにおいて、その影響の規模と範囲を明らかにすることにある。

2.1 大惨事の影響に関する客観的妥当性の高いデータ入手の困難

 データを収集する側の問題とデータそのものが持つ問題の両方の理由により、チェルノブイリ事故が人びとの健康に及ぼした影響の完全な実像を描くことはたいへん困難である。
 データを収集する側の問題には以下のようなものがある。

1. メルトダウンに続く数日間のチェルノブイリにおける住民の健康に関するデータに対して、ソ連政府は機密厳守を課し、1989年5月23日に公表禁止が解かれるまで3年以上も隠蔽し続けた。この3年のあいだに、何人とも知れない人びとが早期白血症で亡くなった。 隠蔽体制はソビエト連邦に限らず、フランスや英国をはじめ他の国々でも、米国においてさえ当たり前だった。爆発後、フランス放射線防護中央局(SCPRI)は放射性物質を含んだ雲がフランス上空を通過したことを否定し(CRIIRAD、2002)、米国農務省は1987年と1988年に米国に輸入された食品からチェルノブイリの放射性核種が危険なレベルで検出されていた件についての公表を怠った。これらの食品汚染に関して初めて公式に発表されたのは8年後だった(RADNET, 2008, Sect.6 and Sect 9, part 4)。
2. ソ連政府による、大惨事後3年半の医療統計の復元不可能かつ意図的な改ざん。


3. 数十万人の汚染地域からの避難者の健康データを含めて信頼に足る医療統計が、ソ連において不足し、また1991年のソ連崩壊後にはウクライナやベラルーシ、ロシアでも不足していること。

4. 国内および国際的な公的機関ならびに原子力産業界の、大惨事の影響を小さく見せようというあからさまな欲求。
 総数にして80万人を超えるリクビダートル(第1章を参照)の場合がその最たるものである。大惨事直後の数年間は、リクビダートルが苦しめられている疾患を放射能に関連づけることは公式に禁じられていた。そのため、1989年までに、かれらの罹病データは復元のしようがないまでに偽造された。


チェルノブイリの原発事故に関する公式登録簿には近年でも被害者が新たに記録され続けており、記録の完全さと正確さには疑いを投げかけざるをえない。死亡率およびガンの発生率に関するデータは多くの異なる情報源から収集され、標準的な国際指針を考慮せずにコード化されている。………(そのために)チェルノブイリ事故に関連する住民の健康データを公的な医療統計と比較するのが困難である(UNSCEAR,2000, Item 242, p.49)。


リクビダートルの罹病データ改ざんに関する公式の要請例 
1.  「………電離放射線に被曝したあと入院措置を受けたが、退院時に急性放射線障害の徴候もしくは症状がないと特定された個人に対しては、「自律神経循環器系失調症」(訳注2)という診断を下すこと」[ソ連公共保健第一次官、O・シェーピンがウクライナ保健省に宛てた1986年5月21日付け書簡より #02-6/83-6 (V. Boreiko, 1996, pp. 123-124)]。 
2.  「緊急作業に携わった作業員のうち、急性放射線障害の徴候や症状を示さなかった者には「自律神経循環器系失調症」の診断を下し、放射線に関連するような健康状態の変化はないものとみなす(つまり放射線障害については実際上問題なしとする)。したがって、状況神経症を含む体性神経症状(訳注3)は診断から排除しなくてよい」[ソ連保健省第三局長、E・シュリジェンコの1987年1月4日付け電報より #"02 DSP"-1(L. Kovalevskaya, 1995年、p.189)]。 
3.  「(1)電離放射線に被曝してから時間が経過した後に表れる影響および因果関係として考慮する必要があるのは、50ラド(500ミリシーベルト)(訳注4)を超える被曝後5年から10年後にみられる白血病および白血症である。(2)事故処理に従事し、ARS(急性放射線障害)のみられなかった個人において急性身体疾患および慢性疾患の表出が認められた場合には、電離放射線の影響を原因の一つと見なすべきではない。(3)チェルノブイリ原発で作業に従事し、別稿10番に記載されている(訳注5)急性放射線障害を発症しなかった個人に対して病気証明を発行する際、その人物が事故処理に参加したことについて、また、被曝線量総計が放射線障害を引き起こすレベルに達していない場合は被曝線量について言及しないこと」[第10軍医委員会委員長、V・バクシュートフから陸軍軍人登録および徴募事務所に宛てた、1987年7月8日付けのソビエト連邦国防省中央軍医委員会の説明文#205より(L. Kovalevskaya, 1995, p.12)]。

 ロシア、ウクライナ、ベラルーシにおける公式のリクビダートル登録のデータは、「リクビダートル」という社会的地位が著しく特別扱いされたため、信頼に足るものとはみなせない。「リクビダートル」と記述された個人が実際に直接被曝したかどうかわからず、また事故現場にごく短時間しかいなかった人の数がどのぐらい含まれているかもわからない。同時に、現場で作業にあたったが、公式登録に含まれていないリクビダートルが、最近になって名乗り出ている。そのなかにチェルノブイリの事故処理に携わったが、参加を裏付ける書類が欠けている軍人たちがいる(Mityunin, 2005)。たとえば、チェルノブイリゾーン(強制避難区域)の事故処理作業に参加し、調査の対象となった6万人近くの軍人のうち、当時の「基準値」である25レントゲン(250ミリシーベルト)(訳注6)を超えたとの注意書きが軍の身分証明書にあった者はたったの一人もいなかった。同時に、ウクライナ軍の男性事故処理作業員1,100人を対象とした検査において、その37%が臨床上および血液検査上、放射線障害の特徴を示しており、これは25レントゲンを超える被曝を意味している(Kharchenko et al, 2001)。大惨事の15年後に、ロシア人リクビダートルの30%もの公的な証書に被曝量データが記載されていなかったことは、偶然ではない(Zubovsky and Smirnova, 2000)。
 「チェルノブイリゾーンにおいて十分な線量管理が実施できるようになったのは数ヵ月経ってから」というのはよく知られているところである(Gerasimova et al., 2001)。慣例的に用いられていたのは、いわゆる「集団線量測定」や「集団線量評価」だった。医薬情報担当官さえも、多くのロシア人リクビダートルが、ロシア公式登録簿に明記された標準値である25センチグレイ(250ミリシーベルト)の7倍もの線量を被曝をした可能性を認めている(Il'in et al., 1995) 。公式データに基づいた場合、上記の証拠から、リクビダートルの「公式」被曝線量と疾病の相関は従来言われてきたようには求められず、信頼に足るものとみなせない。


大惨事の影響に関する真実のデータ隠蔽の二つの例 
1.  「(4) 事故の情報を機密扱いにすること..... (8)治療の結果に関する情報を機密扱いにすること。(9)チェルノブイリ原発事故の後処理清掃作業に携わった個人について、放射能の影響の程度に関する情報を機密扱いにすること」[ソ連保健省第三局局長、E・シュリジェンコによる、チェルノブイリ原発における原子力事故の後処理作業活動をめぐる機密の強化に関する1986年6月27日付けの命令、#U-2617-Sより(L.Kovalevskaya, 1995, p.188)。 
2.  「(2)事故に関連して、医療機関に蓄積された診療録に関するデータは「限定公開」扱いにすべきである。また、物や環境(食品を含む)の最大許容濃度を超える放射能汚染について、地域および地方自治体の衛生管理機関において概括されたデータは「機密扱い」とする[1986年5月18日付けのウクライナ保健相、A・ロマネンコによる機密強化に関する命令、#30-Sより(N. バラノフスカによる引用、1996, p.139)]。

 
 個別のバイオドシメトリ法(訳注7)(染色体異常数および電子スピン共鳴 [EPR]ドシメトリによる)によって得たデータの比較は、公式に記録された放射線量が過大評価もしくは過小評価されている可能性があることを示した(Elyseeva, 1991; Vinnykov et al., 2002; Maznik et al., 2003; Chumak, 2006; 他)。チェルノブイリ関連書では、1986年から1987年にかけて作業に従事した数万人のチェルノブイリのリクビダートルが、110ミリシーベルトから130ミリシーベルトのレベルで被曝したことが広く認められている。平均値とは桁違いの線量の被曝をした可能性がある人(および集団)もいた。以上のように、厳密な方法論的観点からみると、リクビダートルにおける病気と公式に記録された被曝レベルの相関を証明することが不可能なのは明らかだ。ウクライナにおける甲状腺被曝線量および線量証明書の公式データは何度も修正されている(Burlak et al., 2006)。
 これまでに言及したデータ収集側の問題に加え、大惨事が住民の健康に与えた影響の真の規模を確証する難しさには、データそのものに関するおもな問題が少なくとも二つ寄与している。一つめの障壁は、個人もしくは住民集団への本当の放射能の影響を判定するにあたって、それを困難にする以下の要因が存在することである。

・ 大惨事に続く数日間、数週間、数ヵ月間に放出された放射性核種の放射線量を復元する難しさ。ヨウ素133(I-133)、ヨウ素135(I-135)、テルル132(Te-132)などの放射性同位体、および半減期の短い他の多くの放射性核種の当初のレベルは、後にセシウム137(Cs-137)のレベルが計測されたときより数百倍から数千倍高かった(詳細は第1章を参照)。不安定型(訳注8)および安定型染色体異常(訳注9)の割合は、計測被曝量が正確だと仮定した場合に予測されるものよりずっと高く、最大で一桁か二桁も違うことを多くの研究が明らかにした(Pflugbeil and Schmitz-Feuerhake, 2006)。
・ それぞれ固有の物理的および化学的特性をもつために、個々の放射性核種の「ホットパーティクル」(放射性微粒子)の影響を計算することの難しさ。
・ 「線量」は実際に測定されたものではなく、不確かな推定に基づいた計算であることからくる、平均的個人および/もしくは集団における外部放射線被曝・内部放射線被曝のレベルを決定する難しさ。これらの推定値には「平均的な」個人による標準食品群の平均的な消費や、それぞれの放射性核種の外部被曝の平均レベルが含まれた。たとえば、ベラルーシにおける甲状腺被曝のすべての公的な計算は、1986年5月から6月にかけて13万人に満たない人びと、すなわち全人口の1.3%のみに対して実施された約20万件の測定に基づいていた。数百万人のベラルーシ人の内部被曝に対するすべての計算は、牛乳と野菜の消費に関する、数千人を対象にした非公式の調査に基づいてなされた(Borysevich and Poplyko, 2006)。そのようなデータをもとに、実際の被曝線量を再現することはできない。
・ 放射性核種の不均一な分布(それぞれの核種の詳細については第1章を参照)の影響を判定する困難と、その結果として、それぞれの個人の被曝線量がその地域の「平均的な」被曝線量よりも高くなったり低くなったりする可能性が高いこと。
・ ある地域における複数の放射性核種のすべてを把握することの難しさ。セシウム137のみに汚染されたとみなされている地域はストロンチウム90(Sr-90)、プルトニウム(Pu)およびアメリシウム(Am)にも汚染されている可能性がある。たとえば、ストロンチウム90の汚染のみにより公式の放射線値が規定されたゴメリ、モギリョフおよびブレスト各州(ベラルーシ)の6つの地区の206件の母乳サンプルからは、高レベルのセシウム137も検出された(Zubovich et al., 1998)。
・ 土壌から食物連鎖に至るまでの放射性核種の移行や、それぞれの動物種および植物品種の汚染レベルを把握する難しさ。異なる土壌の種類、季節および気候的条件のほかに、年ごとの違いについても同様の難しさがある(詳細は本書第3部を参照)。
・ 汚染地域から転出した個人の健康状態について判断する難しさ。ベラルーシのみの1986年から2000年までの期間における不完全な公式データについてだけでも、150万人近くの市民(人口の15%)が住まいを替えたという現実がある。1990年以降2000年までに、67万5,000人以上、すなわち国民の約7%がベラルーシをあとにした(ベラルーシ公式報告書 2006)。

 個人および/もしくは集団に対する放射線の真の影響を解明する上で立ちはだかる二つめのデータに関する障壁は、情報が不十分であること、とりわけ以下に関する調査が不完全なことである。

・ 特定の生命体にそれぞれの放射性核種が及ぼす影響の特性、またそれらが環境中の他の要因と合わさってもたらす影響。
・ 集団および個人の放射線への感受性のばらつき(Yablokov, 1998; and others)
・ きわめて低い放射線量の影響 (Petkau, 1980;Graeub, 1992;Burlakova,1995;ECRR,2003)
・ 体内へ取り込まれた放射能の影響 (Bandazhevsky et al.,1995; Bandazhevsky,2000)

 こうした点から、国際原子力機関(IAEA)、世界保健機関(WHO)、放射線被曝に関する国連科学委員会(UNSCEAR)、および原子力産業に関係する類似の公的国立機関の要求が科学的虚偽であることが露呈する。これらの機関は、チェルノブイリの放射能汚染の結果として、健康被害と(被曝と)の関連を認めるには「被曝レベルとその影響」とのあいだに明らかな相関がなければならないとしている。不明確に定義づけられた個人もしくは集団の電離放射線被曝のレベルを、それよりもはるかに正確に解明された健康への影響(罹病率や死亡率の上昇)と 結びつけ、「統計学的に有意な相関」をチェルノブイリの有害な影響の明確な証拠として要求することは、方法論的に正しくない。計算された放射線量が、明らかに被曝によると見られる健康への影響とは相関しない、ますます多くの症例が明らかになっている(IFECA,1995;Vorob'iev and Shklovsky-Kodry, 1996; Adamovich et al., 1998;Drozd, 2002;Lyubchenko, ; kornev et al., 2004; Igumnov et al., 2004;and others)。放射線の影響の判定は、これまでに述べたさまざまな要因から困難であるが、それは放射線の影響が存在しないことを証明するのではなく、IAEA、 WHO、およびUNSCEARの公式手段が、方法論的に不正確であることを明らかにしている。

2.2.「科学的プロトコル」

 チェルノブイリ・フォーラム(2006)でもみられたように、ロシア、ウクライナ、およびベラルーシにおいて収集された、チェルノブイリ大惨事が住民の健康に与えた影響に関する膨大なデータを考慮するにあたり、これらのデータは西側の科学界の基準である「科学的プロトコル(手順)」を遵守せずに収集された、という反論がよくなされる。たいていの場合、得られたデータの統計処理が行われていないとか、重度に汚染された地域と、より汚染度の低い地域の集団間、もしくは異なる放射線量の地域の集団間で比較したパラメータに有意差や信頼区間(訳注10)が示されていないなどと言われてきた。しかし、影響が明らかになるのに十分な期間である過去10年間に情報が蓄積されるにつれて、多くの数値は真の「統計的有意」の範囲にあることがわかった。
 本書の著者の一人は、生物学資料の統計処理に豊富な経験をもつ。『ほ乳類の変異性(Vairability of Mammals)』(Yablokov,1974)という概説書は、さまざまな生物学的パラメータおよび比較の数千に及ぶデータ計算を含む。『集団表体型学入門(Introduction into Population Phenetics)』(Yablokov and Larina, 1985)、および『集団生物学(Population Biology)』(Yablokov, 1987)という他の概説書においても、生物学的特徴のさまざまな類型について信頼に値する統計的に有意な結論を得るために、方法論的アプローチが分析されている。以上の総括や、生物学的/疫学的データの統計処理に関するその他の要因から4つの立場を明確に述べることができる。

1.  「スチューデントのt検定」による有意差の検出は非常に少ないサンプルの比較のために100年ほど前に考えだされたもので、多くのサンプルの比較には適していない。サンプルの大きさが集団全体に匹敵する場合、平均値は十分に正確なパラメータとなる。多くのチェルノブイリの疫学調査は数千人の患者のデータを含む。そのような場合、平均値は比較したサンプル間における真の差異を高い信頼性を持って示す。

2. 何倍もの差異がある平均値においては、差異の信頼性を判断するにあたって「標準誤差」を計算する必要はない。たとえば、1987年と1997年のリクビダートルの罹病率の平均値に10倍の差がある場合、なぜ形式的な「差異の有意性」を計算する必要があるだろうか。

3. なんらかの数値に影響を与える要因群の全貌がわからない以上、個別の要因の「影響力」を明確に規定する必要はない。原子力関連組織の科学者は、著者の一人(A.Y.)を、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの有名な証言録『チェルノブイリの祈り』(訳注11)を科学論文の中で引用したという理由で排斥した。アレクシエーヴィチ女史は、チェルノブイリのある村に住む、母乳の出る70歳の女性を診察する一人の医者について書いている。その後、正しい根拠に基づいた科学論文により、年配女性の母乳分泌の原因であるプロラクチンホルモンの異常分泌と被曝のあいだに関連があることが報告された。

4.  大きなデータ群における個々の特殊な特徴についての症例分析が平均値の算出になじまなければ、確率法を使う必要がある。いくつかの近年の疫学文献においては「症例対照研究」(訳注12)がよく使われているが、過去に発表されたデータをもとに非常に珍しい症例一群の確率を算出することも可能である。科学研究の方法は常に改良されていくと予想され、たとえば「信頼区間」や「症例対照」を使った今日の「科学的プロトコル」も完璧ではない。

 歴史上の大惨事の影響を分析し、放射能に汚染された地域で何千人もの専門家が収集した膨大なデータベースを使用することは、一部のデータが西側の科学的プロトコルの形式を取るものでなくても正しいことであり、社会全体に対して正当化される。事後に他のデータを収集することが不可能だった以上、このデータベースを使用すべきである。このようなデータを集めた医師や科学者らは、第一に犠牲者を救済しようとしたのであり、第二には時間や資金が不足していたため、研究結果をいつも発表できたわけではなかった。ベラルーシ、ウクライナおよびロシアにおけるチェルノブイリの問題に関する医学/疫学会議の多くが、公式に「科学的かつ実践的な」会議と呼ばれていたことは象徴的だ。これらの会議(で発表された)学術論文や要旨は数十万人の患者の調査から得られたもので、ときには唯一の情報源だった。大惨事は世界中でたちまち無視されるようになったが、この情報は世界中で入手可能になるべきである。本書では、記者会見では発表されたものの、学術論文としてはまったく発表されていない、いくつかの非常に重要なデータを引用している。
 放射能汚染地域で献身的に働き、汚染のある患者の放射性同位体が出す放射線に曝されることなどを含めて、付加的な放射線に被曝した医療専門家たちの死亡率および罹病率は疑いの余地なく高い。これらの医師や科学者の多くは早くに死亡し、それが、チェルノブイリの医学的な研究成果がこれまで発表されなかったもう一つの理由にもなっている。
 1986年から1999年までに、ベラルーシ、ウクライナ、およびロシアで開かれた多くの科学的で実践的なチェルノブイリ会議において発表されたデータは、省庁の定期刊行物、雑誌、各種の論文集(「ズボルニク」)で手短かに報告されたが、それらを再び収集することは不可能である。「科学的プロトコル上の不適合」という批判を退け、これらのデータから価値ある客観的情報を引き出す方法を探さなくてはならない。ちなみに,原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の公式刊行物では、学術誌の審査を経ていないデータや、ときには手稿が引用されることも少なくない。
 2006年11月、ドイツ電離放射線連邦委員会はニュルンベルクでチェルノブイリの健康への影響に関するドイツ連邦放射線防護庁ワークショップを開催した。これは異なる方法を取る専門家たちにとって、オープンで徹底的な議論を交わし、大惨事の住民の健康への影響を分析するためのまれな機会となった。この会議において得られた一つの結論は、過去のチェルノブイリ資料についてとりわけ重要である。それは、西側の科学的プロトコルを欠くデータは、同一もしくは類似の資料を使った研究(結果)が異なっている場合にのみ疑うことが望ましいというものだ。科学的および社会倫理的見地から考えれば、厳密な科学的プロトコルなしに得られたデータについての検討を拒むことはできない。

2.3 チェルノブイリに由来する放射性核種の多大な影響を否定するのは誤り

 自然の電離放射線は常に地球上の生命の一要素だった。実際、放射線は今も続く遺伝子の突然変異のおもな発生源の一つであり、突然変異は自然淘汰やあらゆる進化の過程のもとになる。人間を含む地球上のすべての生命は、この自然のバックグラウンド放射線が存在するもとで進化し、適応した。
 「チェルノブイリの放射性降下物は地球全体のバックグラウンド放射線量にわずか2%程度を加えるに過ぎない」と推計した科学者もいる。この「わずか2%」は取るに足りないかのように見えるが、騙されてはいけない。北半球の多くの住民にとって、チェルノブイリの放射線量は自然のバックグラウンドと比較して何倍も高い場合があり、一方、ほかの人びと(ほとんどは南半球で)にとってはゼロに近い場合もある。チェルノブイリの放射線量を地球規模で平均することは、病院の全入院患者の体温を平均するようなものだ。
 もう一つの論点は、世界には、チェルノブイリに由来する放射性降下物の平均値よりも自然のバックグラウンド放射線が何倍も高い場所がたくさんあり、そのような場所でも人間は問題なく生活しているのだから、チェルノブイリの放射性降下物による影響などさほど大きくないというものである。この主張について詳しく議論しよう。ヒトには、ヨーロッパヤチネズミやイヌと似たレベルの放射線に対する感受性の個体差がある。ヒト全体の10%から12%は他の人より低い固有の放射線感受性をもつ一方、約10%から14%はそれが他の人よりも高い(Yablokov, 1998, 2002) 。ヨーロッパヤチネズミに対して実施した、ほ乳類の放射線感受性に関する実験は、放射線感受性がより低い集団が確立するには、およそ20世代の激しい自然淘汰が必要なことを示した(Il'enko and Krapivko, 1988)。実験用ヤチネズミの集団について当てはまることがチェルノブイリの放射能汚染地域のヒトにも当てはまるとすれば、400年(ヒトの20世代)後には、汚染地域の地元の人びとも放射線に対して今日よりも低い感受性を持つかもしれないことを意味する。放射線への抵抗力の低い個人は、自分たちの子孫が真っ先に集団から消されるであろうことに納得するだろうか。
 一つの物理的なたとえで、 ほんのわずかの放射線でも余分に被曝することの重大さを説明できる。縁まで満たされたコップの水が溢れるには、ほんの数滴の水が加わるだけでよい。その同じ数滴は、縁まで水で満たされているのがコップではなく樽であっても同じように溢れ始めさせることができる。自然のバックグラウンド放射線はコップと同じぐらい小さいかもしれないし、樽のように大きいかもしれない。容量にかかわらず、チェルノブイリ由来のわずかな余分の放射線が、人の健康と自然において、損傷と不可逆的変化というオーバーフローをいつ起こすのかまったくわからない。
 上記の推論全体により、チェルノブイリ事故による被曝は、たとえそれが世界のバックグラウンド放射線における平均値のわずか2%であったとしても、無視できるものではないことは明らかだ。

2.4 チェルノブイリ大惨事による住民の健康への影響の特定
 
 さまざまな放射性核種が内部被曝と外部被曝を原因とする放射線誘発性の疾患を引き起こしたことは明らかである。そのような被曝の影響を特定するにはいくつかの方法がある。

・ 自然環境、社会環境、経済的特徴は等しいが、放射能汚染の程度が異なる複数の地域において罹病率や死亡率、および学生の学習能率などの事柄を比較する(Almond et al.,2007) 。これはチェルノブイリ研究においてもっとも一般的な方法である。
・ たとえば安定型染色体異常のような、年齢や性別の違いを反映しない健康上の指標を使い、被曝の前と後で同じ個人(もしくは、親、子、兄弟、姉妹など遺伝的に近い親族)の健康状態を比較する。
・ 取り込んだ放射性核種のレベルが異なる複数の集団に対して、罹病率を中心に特徴を比較する。大惨事直後の数年は、住民の80%から90%の内部被曝の線量は、おもにセシウム137によるものだった。そのため、他の放射性核種に曝されなかった人びとについては、取り込んだセシウム137のレベルが異なる人びとにおける疾患の比較により、その影響の客観的な結果が得られる。ベルラド研究所(ミンスク市)の研究で示されたように、この方法は大惨事後に生まれた子どもたちに対して特に有効である(詳細は第4部を参照)。
・ まれな疾患がまとまって現れている場所と時期を特定し、さまざまな放射性核種による汚染のある地域と照らし合わせる(たとえば、ロシアのブリャンスク州における特殊な白血症の研究。 Osechinsky et al.,1998)。
・ 特定の器官における病変と、それに起因する疾患および死亡率を、体内に取り込んだ放射性核種のレベルとともに記録する。たとえば、ベラルーシのゴメリ州(ベラルーシ語でホメリ州)における心疾患など(Bandazhevski, 2000、2005、2009)。

 「証拠の不在」を強調し、集団の被曝線量と健康被害とのあいだに「統計的に有意な」相関がなければならないと主張する専門家がいるが、それは方法論として欠陥がある。当時、データ収集が精密におこなわれなかったため、集団の被曝線量と線量率を正確に計算することは事実上、不可能だ。もし本当にチェルノブイリ大惨事の健康に対する影響を方法論的に正しいやり方で理解し、推定したいと思うなら、汚染地域において、放射能量は異なるがその他の点では同様の集団間もしくは集団内における差異を比べると明らかになるだろう。


<訳注>

1. 西側世界本書のWestやWesternは、東欧に対する西欧でも、東洋に対する西洋でもなく、チェルノブイ リ事故発生からソ連邦崩壊後の1990年代前半まで、冷戦時代のいわゆる東側ブロック(共産圏)と西側ブロック(日本なども含む自由主義圏)の差異が大きかった時期に、かつての東側に属する本書の記述 対象地域では西側の科学的プロトコル(手順)などが一般化していなかったという文脈でのEastに対するWestである場合が多い。
2. 自律神経循環器系失調症(vegetovascular dystonia)
心臓神経症、不整脈、起立失調症候群、起立性調節障害など、自律神経失状態が循環器系にあらわれる症状のこと。スラブ語圏独特の病名で、一般的に「植物神経(=自律神経)緊張症」等と訳されてきた。チェルノブイリの事故処理作業者や被曝者の循環器系にみられる多重の疾患や症状を、放射線との関係はないものとして診断する場合に多用された。
3. 体性神経症状運動神経と感覚神経の総称で、自律神経系に対し、感覚と運動を支配する神経。体性感覚や特殊感覚に基づく骨格筋の反射による運動機能の調節、大脳皮質の働きに基づく意志による運動機能に関与する。対して、環境・状況の持つ慢性的なストレスが、発病により大きく起因する神経症のことを状況神経症、または現実神経症という。
4. ラド放射線被曝を表す単位の一つで「吸収線量」と呼ばれる。放射線を受けた物質が、電離や励起といった放射線との相互作用の結果、重量1g当たり100エルグのエネルギーを吸収したときの被曝が1ラドである。現在はradに代わって、グレイ(Gy)の単位が用いられている。1Gy=100rad。
5. 別稿10番:この部分は別の公式機密書類に言及している箇所で、その書類の「10番」にここで問題にされているような記述があることを指す。
6. レントゲン放射線被曝を表す単位の一つで「照射線量」と呼ばれ、物質にX線とガンマ線をどれだけ浴びせたかを示す。標準状態(1気圧25度C)の空気1立方cm中に1静電単位(esu)のイオン化を生じるX線またはガンマ線の量が1レントゲン(R)である。細かいことを抜きにすると、人体への1レントゲンの照射は約1ラドの吸収線量となる。
7. バイオドシメトリ法日本語では「生物学的線量推定」。原発事故や放射能汚染で被曝した人の被曝量を、その人の身体中に残されている被曝の痕跡を用いて推定する方法。リンパ球中の染色体異常頻度を調べる手法や歯のエナメル質に記憶されている結晶状況の変化をESR(電子スピン共鳴)で観測する手法などが確立されている。
8. 不安定型染色体異常二動原体、環状染色体染色体異常のこと。検出感度は高いが、細胞分裂に伴って異常を持つ細胞が失われていくため、被曝後何年もの時間を経てしまうと頻度は低くなる。
9. 安定型染色体異常細胞分裂によっても除去されず存在し続ける、転座や逆位などの染色体異常のこと。検出感度が低い。
10. 信頼区間‘観測値’を基に、母数(隠れたホントの値)の存在しそうな範囲を、統計学を用いて区間推定したもの。たとえば、90%信頼区間とは、母数がその範囲外にあったときにその「観測値」を得られる確率が10%以下となる区間である。つまり、100回の観測を行って、観測値が得られる毎にその90%信頼区間を推定したとき、母数が90%信頼区間の中に入っていないのは10回以下、逆に言えば、『100回のうち90回以上は推定した信頼区間の中に母数が存在している』と考えて良い。
11.『チェルノブイリの祈り――未来の物語』 スベトラーナ・アレクシェービッチ著 松本妙子訳 岩波書店刊1998年、岩波現代文庫2011年
12. 症例対照研究:疾病の原因を明らかにするため、疫学で用いられる研究手法の一つ。英語ではケースコントロールスタディと呼ばれる。疾病が発生している集団に着目し、まず疾病を有する人(症例)を選び出し、同じ集団の中から、疾病を有さずかつ性別年齢や生活条件などができるだけ症例者に似ている人(対照)を選び出す。一つの症例に対し対照は複数で構わない。疾病の原因に関連しそうな要因について、こうして選んだ症例グループと対照グループの個人履歴を調査し、グループ間で違いが認められれば、それが疾病の原因と関連している可能性が大きいと判断する。グループを選び出した時点から過去にさかのぼって履歴を調査するので、‘後ろ向き研究’とも呼ばれる。

<< 修正 >>

※5月2日、下記の箇所を訂正しました。

[訳注 4: ラド]

吸収した放射線の総量。電離放射線によって物質に与えられるエネルギーの単位。 現在はradに代わって、グレイ(Gy)の単位が用いられている。1Gy=100rad。ジュール/キログラム(J/kg)とも表す。
     ↓
放射線被曝を表す単位の一つで「吸収線量」と呼ばれる。放射線を受けた物質が、電離や励起といった放射線との相互作用の結果、重量1g当たり100エルグのエネルギーを吸収したときの被曝が1ラドである。現在はradに代わって、グレイ(Gy)の単位が用いられている。1Gy=100rad。

[訳注 6: レントゲン]

照射線量の単位。X線の発見者であるヴィルヘルム・レントゲンにちなんで命名された。
     ↓
放射線被曝を表す単位の一つで「照射線量」と呼ばれ、物質にX線とガンマ線をどれだけ浴びせたかを示す。標準状態(1気圧25度C)の空気1立方cm中に1静電単位(esu)のイオン化を生じるX線またはガンマ線の量が1レントゲン(R)である。細かいことを抜きにすると、人体への1レントゲンの照射は約1ラドの吸収線量となる。

[訳注 7: バイオシメトリ法]

生物学的線量測定。人体サンプルを利用して放射線被曝線量を推定する方法のこと。放射線被曝患者を治療する際、被曝線量を正確に推定するために用いられる。
     ↓
日本語では「生物学的線量推定」。原発事故や放射能汚染で被曝した人の被曝量を、その人の身体中に残されている被曝の痕跡を用いて推定する方法。リンパ球中の染色体異常頻度を調べる手法や歯のエナメル質に記憶されている結晶状況の変化をESR(電子スピン共鳴)で観測する手法などが確立されている。

[訳注 10: 信頼区間]

平均値の信頼性を示す統計的な指標で、母数の存在範囲の推定の指標となる数のこと。調査・実験結果がどのくらい信頼性があるのかを表す。
     ↓
‘観測値’を基に、母数(隠れたホントの値)の存在しそうな範囲を、統計学を用いて区間推定したもの。たとえば、90%信頼区間とは、母数がその範囲外にあったときにその「観測値」を得られる確率が10%以下となる区間である。つまり、100回の観測を行って、観測値が得られる毎にその90%信頼区間を推定したとき、母数が90%信頼区間の中に入っていないのは10回以下、逆に言えば、『100回のうち90回以上は推定した信頼区間の中に母数が存在している』と考えて良い。

[訳注 12: 症例対照研究]

ケースコントロール研究。対象とする疾病の人とそうでない人を比較する方法。疾病が発生してから研究するので後ろ向き研究ともいう。
     ↓
疾病の原因を明らかにするため、疫学で用いられる研究手法の一つ。英語ではケースコントロールスタディと呼ばれる。疾病が発生している集団に着目し、まず疾病を有する人(症例)を選び出し、同じ集団の中から、疾病を有さずかつ性別年齢や生活条件などができるだけ症例者に似ている人(対照)を選び出す。一つの症例に対し対照は複数で構わない。疾病の原因に関連しそうな要因について、こうして選んだ症例グループと対照グループの個人履歴を調査し、グループ間で違いが認められれば、それが疾病の原因と関連している可能性が大きいと判断する。グループを選び出した時点から過去にさかのぼって履歴を調査するので、‘後ろ向き研究’とも呼ばれる。